ニュースを見ていたら、公園の木が折れて子供がケガをしたそうです。

その結果、周りの木を含めて検査をはじめたようです。

さらに、なぜ木が折れたのか?を調べようとしていました。

そして、

「管理はちゃんとされていたのか?」

ということが言及されてました。

これを見て、

「なんだかな~」

と思ってしまいました。

木は折れる時に折れます。

そして、その原因は、特定できないでしょう。

なぜなら、たぶん1つじゃないから。

いろんな縁が絡んで、木が折れたはずですから。

例えば、要因としては、過去の台風、木の年齢、気温、その時の風の強さなどなど。

でも、何か事が起こると、それを何かや誰かのせいにしたいのでしょうね。

だから原因を調べる。そして、原因を特定し、その対策を考える。

まあ、これは当たり前に行われることでしょうが、何かのせいにしてその対策を続けていくと、どんどん社会が窮屈なものになっていき、息苦しくなっていくように思います。

なぜなら、何もかもが管理されて、どんどん自由度が減るからです。

あまりにも管理し過ぎてしまうと、その管理に振り回されてしまうからです。

これだとますます、人は生きづらくなってしまうように思います。

大事なのは、木が折れた原因を無理矢理特定して対策することではなく、木は折れることもあると自覚して注意をすることでしょう。

それでも、そういう危険にあうことは避けようがありません。

私達にできるのは、何かが起きた時にそれを受け止めることだけです。

木は危険なものだと考えて木を排除することもできますし、木が折れないように補強をすることもできますし、木には近づかないようにすることも可能です。

ただ、どうするのがよいのかは経験をしながら決めていくしかありません。

そして決めたことは最善だと信じて生きていくだけです。