ブラウジングしていたらとても波動が高いなという行動をしている人がいました。海外の貧しい国の人達を支援すると共に日本の素晴らしさを若者に伝えている人です。

こういう方は波動が高い状態を維持してます。だからこそ、人のために何かをするという行動をどんどんやっています。

しかも、それは他の人から見てもとても素晴らしいと思えるので、より多くの人を惹きつけます。

そして、そういう人々は「この人のように自分もなりたいな」とか「自分も成長してこういうことができるようになりたい」とか思うわけです。

まあ、海外だとマザーテレサのような人がこういう人です。

でも、あえて言えば、波動が高い人を目指すのも結局エゴのなせるわざです。

それ自体は素晴らしいですが、本来の私達の可能性のひとつとして波動が高い状態があるということです。

人間は誰でも波動が低くなったり高くなったりします。だから、波動が高いという人は特別な存在ではなく、単にそういう状態にある人ってことです。

以前は私も波動が高い状態を目指していたりしたわけですが、今は特に意識してません。

だって、皆、それぞぞれが自分らしく生きているわけで、波動が高くても低くてもどちらでもいいと思うからです。

もちろん、波動が高い人の近くの方が心地よいですし、波動が低い人の近くにいると気分は悪くなりますが。

まあ、それはそれで経験ということですからいいんです。

今回言いたかったことは、

「波動が高い人になる必要はない」

ってことです。

目指してもいいけど、”ねばならない”ということじゃないということです。

「~でなければいけない」というのは限定してしまうので、「~でない」という現実を否定したくなります。

例えば、

ボランティアなんて興味がないし、嫌いだという人に対して、

「人を助けるのは当たり前じゃないか。そんなのは人間のすることじゃない」

とか。

ボランティアなんて興味がないし、嫌いな人にはその人なりの価値観があるということです。

その価値観は、ただの考え方や信念に基づくものです。

なのに、そういう価値観を持っている人自体を否定してしまっているんです。

他人を否定するのは、自分を否定することでもあります。

自分の中にある自分があってほしくない考え方や信念などを否定してしまうんです。

そうなると、自己価値が低くなり、結局、波動は低くなります。

私自身が思うのは、ありのままでいいんだってことです。

特別にこの言葉には意味がなく、言葉通りありのままです。

もちろん、波動を高いのを目指すでもいいし、低くてもかまわない。

自分がそれでいいならいいんです。

そして、それは他人に対しても同じです。

自分勝手であると共に他人勝手です。

自分を許すと共に他人も許す。

こだわらない。

過去や未来ではなく今ここ。

リラックスして存在する。

考えないで感じる。

ありのまま、そのまま。