昨日発見した自分の信念です。

「人よりも優れていたい」

なぜなんだろうと思ったら、やっぱり基本的に自己価値が低いんだと思います。

人は人より劣っていると(自我が思っているだけですが)、自己嫌悪に陥りやすい。

また、人より優れていると(こちらも自我が思っているだけ)、傲慢になりやすい。

どちらにしても、感情が揺れている状態です。

安定しないやじろべいみたいに。

一番安定するのが、同じこと。

実際に私達ひとりひとりは、違うように見えるけど、本質は同じであって、単に価値観が違うように見せているってことに気づくと。

ああ、同じなんだって思って安心するんです。

NHKの病の起源(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1020/)という番組で、どこかの部族がうつ病になる人がいないというんでいろいろ知らべたら、彼らのライフスタイルが平等だったそうです。

彼らは獲物とかをとっても、シェアをして、分け与えて皆で食べるそうです。もちろん、あまり獲物がない時であってもです。

なので、人間関係が良好なんです。そして、年寄りであっても、自分を誇りに思っていて自分が役立っている必要な人間だと思っています。

そもそも鬱とかになるのは、孤独感が募り、自己価値が低くなってしまうところから来ています。ストレスは人を委縮させます。

例えば、実際に仕事が大変であっても、もし家族や仲間がフォローしてくれたりすると、ストレスはなくなり、鬱などにはならないでしょう。

話しがそれましたけど、「人より優れていたい」っていうのは、実はエゴが自分を守っているってことです。

優れていることで、自分の存在価値を高めたいんです。

エゴの最大の目的が存在することなんで。

だから、「死ぬのは嫌だ」というのもエゴです。

ただ、このエゴがあるからこそ、生きれるとも言えます。

しかし、実際に本質の私達は生まれることもなく、死ぬこともない存在です。

というか存在さえもしてなかったりします。

これは、釈迦が空理論で説いています。

生きていると実感できないんですが、これが真実です。

生きることは、瞬間、瞬間に、過去になっていきます。変化していき、いずれすべて消えます。

200年後、今生きている人は、一人残らずいなくなっています。

思うんですが、この世界は、映画のようです。映写機が周っている間、スクリーンに映像が映し出されていますが、スクリーンは、映写機がないと、何もない。

実際は映写機の方つまり、映し出している方が本質。釈迦流に言えば、空。

どのようにも変化しうる存在。

さて、

「人より優れていたい」という思いを持ち続けるのもいいんですが、これをなくすためには、その欲求が自分の中にある信念とそこからくる恐れから来ていることのに気づくこと。

気づくと変化します。

変化すると、優れていたいという思いが薄らいでいきます。