こだわりが苦しみを生むという気づきがありました。

だから、こだわらなければ、苦しみはなくなります。

こだわりは、執着であり、欲望でもあります。

こだわるから、執着してしまい、こだわるから、欲望があるんです。

お金にこだわるから、お金に執着する、お金が欲しいという欲に向かう。

幸せにこだわるから、幸せに執着する、幸せが欲しいという欲に向かう。

こだわりをなくせば、苦しみがなくなるだけです。

だから幸せになれたり、喜びを感じたり、ポジティブな感情を感じるというわけではないです。

ただ、苦しみがなくなるだけです。

釈迦が目指したのはまさにこれでしょう。

こだわりがなくなったから、欲が滅し、苦しみがなくなったんです。

このこだわりとは、意識を向続けることに他なりません。

意識が向かないなら、気にしていないので、こだわりを生む思考さえ生まれません。

意識を向けて、その向けた対象に対して意識を向け続けることがこだわりです。

今ここは、今とここにフォーカスするわけですから、意識を向ける対象は固定化せずに変化します。

川の流れが留まると、川が濁ってしまうのと同じく、意識を向ける対象も固定化してしまうと、濁ってしまい純粋でなくなるのでしょう。

変化は、生命が純粋で在ることのあらわれなのかもしれません。