今の社会を見ると、ほぼ資本主義というか、経済優先の社会です。

お金のパワーがものすごくあるので、お金を持つことにより幸せとか満足感とかを得ようとする風潮が強いです。

一方で、平等であるべきという考えもあります。経済で言えば、共産主義。倫理的には人種差別がないとか、年齢や男女の差別がないとか。

見方を変えると、これは、ヒエラルキー社会とフラット社会。

実際にはヒエラルキーとフラットが同時に存在しています。

どちらがよいとか悪いとかいう主張をするとエゴのわなにはまります。

どちらも、根底には、自分の価値観がベースだからです。

好みとしてはフラット社会ですが、現実を見ると、フラットではありえないものです。

玄侑宗久さんの本の中でこういう言葉が書かれていました。

「同じ桜でも、山の上の桜は遅く咲き、下の桜は早く咲く」

言い換えると、同じ人間であっても、差があるのです。

この差を価値観というフィルターで見ると、差別に見えます。

価値観が全くないという視点で見るなら、ただ、起こることが起きているだけです。

例えば、

・お金をたくさん持っている人がいる
・お金をあまり持っていない人がいる

これは、単なる事実ですが、これを読んで、お金がたくさんある方がいい、ないのは嫌だなと思うのは価値観があるためです。

では、価値観がなければいいのか?というと、そうとも言えません。

なぜなら、価値観があるからこそ、経験して、感じることができるからです。

個人的には、

「どのような人生経験も、貴重なありがたいものとして、受け入れる」

のがよいかと思います。

ただ、なかなかこうはいかないのが人間の人間たる所以ですが。