夜目覚めた時の気づき。

できないという感覚に襲われた時にそこには、恐怖がありました。

恐怖感は自分が力不足だるという思い込み(信念)で、このままではいらなないという欲求、このままではいたくないという欲求を感じます。

私ができないのは嫌なのはそこに恐怖感が感じるからなんだということに気が付きました。

できなくてもいいと思えるとそうではないんですどね。

できないことが自分は無価値であることにつながり、それが嫌悪感を生むようです。

これは、できる人と比較してしまうこともあるかもしれません。

あの人はできるのに自分はできない。なぜ?

相手との間に分離感を感じ、自己価値が低下してしまうのです。

これはすべてエゴの仕業です。

エゴは結局、存在し続けたいという欲求があり、そのためには、自分には価値があると思い込みたいからです。

そしてそのためには証拠がいります。

その証拠が「できる」とういことです。できないということは、価値がない証拠になってしまうので、嫌なんです。

というふうに自己分析をしてみました。

このように客観的に自分を見つめることで、実は恐怖感はなくなっていきます。

恐怖感そのものになって気づきがないと、恐怖を感じることになります。

実際には恐怖は自分で創り出したものだというふうに気づかないと、ずっと恐怖を感じることになるでしょう。

私達の本質は本来、人間でも男でも、女でも動物でも、エゴでもどんなものでもありません。

これらは単なるラベルです。

「あなたは誰ですか?」

「~でもないし、~でもないし、~でもないし、・・・・・・無限・・・・・」

この問いの答えはすべてのを否定した時に見えてきます。

「~でもあるし、~でもあるし、~でもあるし、・・・・・・無限・・・・・」