素晴らしいなと思える考え方をする人と出会いました(実際にリアルではお会いしてませんが)がその人の中にも素晴らしくない側面があるのに気づきました。

あくまで、私の観点なのですが、そう思えると確かに感じられます。

別に、だからと言って素晴らしいことには変わりがないです。

「人の振り見て我が振り直せ」

の言葉通り、人のアラが見えても、それはそれでOKなのです。

そのアラが見えたということはそこに何らかのこだわりを自分自身が持っているということです。

そこから何か気づきが得られればそれでいいのです。

どんなに素晴らしい人と思えてもそれを

「自分より上の人」

さらに

「神格化」

してしまうと、自分の成長には妨げになることもあります。ほどほどにがいいですね。

どんなに素晴らしい考えを持っていて、素晴らしいオーラを持っていても、それは表面しか見ていません。

いろいろな側面を人は持っているのです。

何しろ高い波動から低い波動まですべて持っている(あるいは選択できる)のですから。

気づきを固定化しないためにはどんな言葉であろうと、それを疑ってかかるという哲学的な考え方が役立ちます。

たとえ、素晴らしい気づきであろうと、それは絶対ではないのです。もちろん、絶対化してもいいのですが変えることができます。

もっと、自由なのです。

「私は自由です」

今、書いていて気づきましたが、このアファメーションは波動を高くしますね。

もともと自由なのですがこの世界は制限ばかりなので、この言葉がとても心地よく感じます。

ネガティブな感情を感じたら、これを言ってみるといいですよ。

とても幸せな感じになりますから。

話しがそれましたが、どんなに素晴らしい人でも成長過程にあるということです。

そして自分も成長過程にあります。