久しぶりに「Living Deliberately」を読みました。

何度も読んでますがこの本は名著だと思います。

読んでいてまだわからないと思う部分があります。ですが、素晴らしいというのは感じます。

読んでいるうちに書こうと思ったのが今日の内容です。

「生老病死」いわゆる四苦です。

生きるのは苦しい => 人生はつらいことが多い、etc。
老いるのはつらい => 老化すると今までできていたことが難しくなる、etc。
病になるのは苦しい => 病になると自分と家族ともにつらい、etc。
死ぬことはこわい => 死ぬと周りが悲しむ、それがつらい、etc。

苦しみや恐れがなぜ生じるか。それはその苦しみや恐れを経験したくないという思い、つまり抵抗するからです。

ですが、経験したくないという思いがあると、まさに経験してしまいます。経験は最終的になんらかの感情になります。

遊んだり、食べたり、スポーツしたり、どんなことをしてもそこに何らかの感情が生じます。

私達は経験し感じているのです。

さて苦しみや恐れを経験したくないという抵抗はどうして生じるのでしょうか?

それはその抵抗が自分の手に負えないものと感じるからです。苦しみや恐れを前にして、自分の無力さを感じてしまうのです。

例えば、マラソンをすることは辛い経験かもしれませんから抵抗があるかもしれませんがマラソンの経験者は辛くてもチャレンジします。なぜならそれを乗り越えられると知っているからです。

さて「生老病死」についてですが、これらに抵抗すればするほど、苦しさ怖さは大きく感じるようになります。

本の中にすべての経験を「味わい愛でる」という言葉があります。これは受け入れるということでもあります。

どんな経験も捉え方で感じ方が変わります。

かといって「病を楽しめ」と言われても楽しむことは難しいかもしれません。単純には病を楽しむということはできないのかもしれませんが

例えば、病になることにより、家族との絆が深まったり、昔の友人が訪ねてきて旧交を温めたり、病がもたらす経験があると思うのです。
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そして、その経験がその人にとって経験したいことなのではないでしょうか。まあ運命や宿命や使命などなのかもしれません。

ただそのような意識を持たなくても確かに自分が人生を選択し、創っているのだという意識でいれば、より前向きに人生を関わることが可能になるのかと思います。
 
私は「死の恐れ」があります。自分もそうですが、家族が亡くなったらどうしようなどとふと考えてしまいます。それはたぶん辛く悲しいので経験したくないと感じているのです。

まさにそのような時は、死の恐れや悲しみの経験を今まさにここに引き寄せている感じです。

そしてこれらの抵抗の裏には信念が必ずあります。

「死んだらもう二度と会えないし、なくなってしまう」

という信念がどこかにあるのでしょう。

「死んでもいつでも逢える、魂は永遠にあるのだから」

これを100%信じていて、実際にそれをこの現実で経験することができるなら、死の恐れは消えてしまうことでしょう。

私の中にはこれを信じて、確信したいという思いがどこかにあるように思えます。

もちろん理屈的にはそうだと思いますが経験することでその確信度が上がるのです。

ツールなどを使い、確信度を上げることは可能だと思います。ただ、強い信念を変えるのは難しいでしょう。

例えば、重力などの物理法則も信念かと思います。物理法則はすごく強固な信念です。原初のプライマリーだと思います。

純粋な源(みなもと)の創造は強大なはずです。ですから、それをくつがえして、重力はないと信じてもそれは自分の宇宙だけで帰結して現実は変化がないのでしょう。もし重力をなくそうとしたら潜在意識も含めた信念の書き換えが必要かと思います。

原初の信念は変えるのが困難だとしたら、どうしたらいいかというと、経験するしかありません。

もともと経験しにきているのだから、その目的を果たせばいいとういことです。

つまり、もし苦しみや恐れをより大きなものとして感じないようにするためには抵抗せずに「生老病死」を経験すればいいということになります。経験し感じることで昇華され、新たな経験をする力が湧いてきます。