無条件に人を信じることができますか?

またいるとしたら何人いるでしょうか?

家族は無条件じゃないです。家族というのは、血のつながりという条件があるからこそだから。

赤の他人は信じれないでしょうから。

こう考えると、無条件に信じることは、かなりハードルが高いです。

本当は、無条件に人を信じれるととても心地よいのですけどね。

でも、それをできない。

なぜか?

なぜなら、怖いから。

信じることは怖いことなんです。

だって、裏切られるかもしれません。

自分にとって損になるかもしれません。

存在が危うくなるかもしれません。

もし、無条件に人を信じることができるなら、恐れが全くない場合です。

裏切られる、損をする、自分が危ない。このようなことに対して、まったく恐怖がないなら、人を信じれるでしょうね。

キリストとか聖人と言われるような人はこのレベルだと思います。

だから、普通の人にはかなり難しいですね。

ただ、無条件に人を信じないといけないわけじゃないです。

時には人を信じ、時には人を疑う。これが普通。

単に人を疑っている時は、いい気持ちじゃないというだけです。

エックハルトトールさんが、真の愛とは一体(物理的な意味ではなく)となることと語っていました。

これには同感ですが、

・存在はすべて分かちがたく、ひとつの生命

これに気付き実感することが、真の愛かと思います。

日本語で愛という大げさに聞こえてしまいますが、単に自他の区別がない状態です。

この時は、恐れがないです。恐れる対象もないし。相対的じゃなくて、絶対的なので。

ではどうしたら、一体になれるのか。

本当は自他の区別はないわけなので、一体になると気づけばいいのですが、それには、捨てなければいけないものがあります。

それは、”我”です。つまり、エゴです。

これがある限り、一体感を得ることは難しいです。

我を捨てるとは、仏教や禅なら悟りになります。

キリスト教なら、無条件の愛になります。