たとえば、愛する人が亡くなった時に、誰もが嘆き悲しみます。

これは、避けようがなく、自分が先に死なない限り、大事な人の死を経験します。

人によっては、こういうこと自体考えたくはないかもしれません。その気持ちはわかります。

なぜなのかというと、悲しみを感じたくないから。死を受け入れたくはないから。

ですが、よく考えるとわかりますし、軽く考えてもわかるのですが、死は避けようがありません。

生まれたのが起きたように、死も起きます。

釈迦は死んでいくことを嘆いても仕方がないと説いています。

なぜなら、そうなるのが自然だから。当たり前のことだから。

そして、死んだことを悲しむあまりそれに執着することはいけないと、説いています。

愛する人に執着しているからこそ悲しみます。もし水知らずの他人が死んでも悲しみません。それは、執着してないからです。

執着してしまうと、今に生きれません。過去に生きるようになり、今に生きているのではなく想像の中で生きます。

これだと、人生は前に進まずに停滞したままです。

死んだらそ人のことは忘れた方がよいといいますが、忘れなくてもいいので執着しない方がよいと思います。

愛する人が死んでも人は生きるところまで生きるのが自然です。

生きたくても寿命以上には生きれません。