ふと思いついたのがこれです。

「私は~だ」

と信じていると~になる。

例えば、

「私はキリストだ」

と信じていると、キリストになることです。

ここでのキリストは、その人が信じているキリストイメージのキリストです。

ですから、他の人のイメージとは違うかもしれません。

たまに

「私は~の生まれ変わりだ」

という人がいますよね。

そう言っている人は、その人の中では確かに真実なのでしょう。

でも 他の人から見たらそうではないかもしれません。

要するに自分から見た時の真実と他人から見た時の真実は違うということです。

ですから、「私は~だ」と言っても間違いではないのです。

これが成り立つわけですから、

「私が見る世界」と「私以外が見る世界」も異なっているわけで、すべての人が別の世界を見ているということになります。

まさにパラレルワールドです。

では、パラレルワールドなら、私という個人もパラレルワールドの数だけ存在するのでしょうか?

私はそうは思いません。確かに理屈上はそうかもしれませんが、実際にはすべてのパラレルワールドに私という個人は登場しないからです。

例えば、私がAさんと一度も会わないなら、Aさんの世界には私はいないのと同じです。量子力学的に言えば、観察してはじめて存在するのだからそういう理屈になります。