私達人間にとって恐怖は感じたくない感情です。

ですから、なるべく恐怖の経験を味合わないようにいろいろなことをします。

例えば

・お金がなくなる恐怖があるため、お金を貯めたり、働き続けます。
・人に嫌われることが恐怖なため、人に嫌われないようにいろいろと気を使います。
・地震が怖いため、家を補強したり、保険に入って万一に備えます。
・死ぬことが怖いため、健康によい食事をとり、運動をし、健康診断も受けます。
・etc

恐怖ということを感じたくないのでいろいろなことを行っているのがちょっと考えただけでもたくさんあるのです。

さて、この恐怖をハイヤーセルフ、つまり高い自己という視点から見るとどうなるでしょうか?

ハイヤーセルフにとって上記のようなことも含め、恐れという感情を味わいたくないとは思っていないはずです。

ハイヤーセルフは人が経験するすべてを経験しつくしたいのです。自己が経験するすべてをハイヤーセルフも一緒に経験しています。

個人的に自分の意図で考え、行動していると思っていてもそれはハイヤーセルフの意図に沿うものです。

ハイヤーセルフから見ると人として人生を経験するために恐怖を創っておいて、それを経験するということは、意図通りのはずです。

一方、エゴである自己にとってはたまったものではありません。もしも、崖の上から真っ逆さまに落ちるような経験をハイヤーセルフが選択したら、そういう経験もすることになるのです。

こう考えるとハイヤーセルフに無難な経験をお願いしたくなるかもしれません(^^)。

私達は感じるために生きています。経験することは感じることです。

恐怖も喜びも感じきることで帰着し、新たな経験をするステップに向かいます。

感じきらないでいると、その感情は未処理のまま、後まで残されます。

これは輪廻や生まれ変わりの説明になるでしょうか?

この世界に存在するために作られた信念は

「私がいる」

です。すべてはここからはじまっています。

恐怖の信念はなぜ作られたのでしょうか?

私は経験するために分離した時にできたのが恐怖だと思っています。以前も書いたように分離したことを知覚するために感じるのが恐怖だということです。逆に分離していない状態を知覚するために感じるのが喜びです。

恐怖は経験するためにできるべくしてできたものなのだと思います。