SNSでイラっとした出来事から考えたこと 〜執着と距離の取り方〜

最近、SNSで少しイラっとする出来事がありました。
ある動画にコメントしたところ、それに対して攻撃的な返信が来て、思わず言い返してしまったのです。

普段の自分なら無視することが多いのですが、そのときはなぜか反応してしまいました。
後から冷静に考えてみると、「なぜ自分はあそこで怒ったのか?」という疑問が湧いてきました。

■ 自分の中で起きていたこと

振り返ってみると、構造はシンプルでした。

自分の価値観に基づいて発言する
それを否定される
少し傷つく
防衛として怒りが出る
言い返す

つまり、

👉「自分の大切にしている価値観が揺らいだとき、それを守るために反応した」

ということだったのだと思います。

■ さらに考えると「執着」に行き着く

もう一歩踏み込んで考えると、

👉「これは執着だな」

という結論に至りました。

礼儀に対する考え
敬意に対する感覚
軽く見られたくない気持ち

こういったものに、自分はある程度こだわっている。

それ自体は悪いことではないですが、
それが強くなると、揺らいだときに苦しみや怒りが生まれる。

■ ただ、執着はなくならない

とはいえ、人間である以上、執着をゼロにするのは無理です。
仏のようにはなれません。

だから現実的には、

👉「少しずつ手放していく」

しかないのだと思います。

実際、自分も年齢を重ねる中で、

若さへのこだわり
他人からどう見られるか

といった部分は、だいぶ軽くなってきました。

その分、他人の言動にも振り回されにくくなっていると感じます。

■ ではどう生きるか

結局のところ、

👉「どう捉えるかで反応は変わる」

ということに尽きます。

侮辱と捉えるか
価値観の違いと捉えるか
ただのノイズと捉えるか

視点次第で、感情は大きく変わります。

■ 行き着いたシンプルな結論

いろいろ考えた結果、今はこう思っています。

👉「難しいことより、普通に生きればいい」

お腹がすいたら食べる
眠くなったら寝る
体調が悪ければ休む

これだけのことです。

悟りだとか、理想的な状態だとか、
そういうものを追いかけること自体が、また一つの執着なのかもしれません。

■ SNSとの距離感

今回の出来事で、SNSについても少し見方が変わりました。

自分の反応を観察する場として使うこともできる
ただし、別に重要なものでもない

つまり、

👉「あってもいいし、なくてもいい」

くらいの距離感がちょうどいいのだと思います。

そのうち自然と興味が薄れていくかもしれません。

■ 最後に

今回の一件は、単なる小さなトラブルですが、

👉「自分が何に反応するのか」
👉「どこに執着しているのか」

を教えてくれる出来事でもありました。

結局のところ、

👉「今をどう生きるか」

それだけで十分なのかもしれません。

あまり力まず、
「まあこんなものか」と思いながら、日々を過ごしていきたいと思います。