誰しも嫌な感情を感じることはあるかと思います。

いろんな側面からこの感情に対応することができます。

まず、嫌な感情自体は別に悪いものではありません。ただ、ありのまま感じているだけだから。

だから、嫌な感情をそのまま感じればいいということです。

感情を感じたくないと恐れているから、いつまでもその感情を感じ続けてしまう。ある意味、執着です。

感情を感じ切ったらそれで、その経験は、完了して、次に新しい経験をすればいいだけです。

また、別の側面から見ると、感情を感じてしまう、考え方そのものを変えてしまうことです。

嫌な感情を感じるメカニズムがあります。これは、ある条件の元では、こうなるということです。

いわゆる信念とか価値観です。

例えば、嫌なだと思う上司がいたとしても、それは、その人が~だから嫌いだという信念があるはずです。

・タバコを吸う上司だから嫌い
・説教ばかりする上司だから嫌い
・嘘をつく上司だから嫌い
・etc

これは、

・私はタバコが嫌い
・私は人から責められのが嫌い
・私は嘘をつくのが嫌い

など、なんらかの形で自分の投影になっています。

つまり、「自分から見たら~だ」となっています。

この自分の見方を変えることで、

・タバコを吸っている上司でもかまわない
・説教ばかりする上司でもかまわない
・嘘をつく上司でもかまわない

となれば、気にはなりません。これは、執着しなくなることでもあり、許すことでもあります。

嫌な感情を味わうことも一つの経験であるという考え方をすることは、抽象度を上げることでもあります。

抽象度を上げることで、柔軟になり受け入れることができます。

すべて受け入れることができるなら、すべてがひとつに感じられるはずです。