今日は責任についてです。

責任を辞書で調べると、

・当然負わなければならない任務や義務。
・自分のした事の結果に責めを負うこと。

などの意味があります。

人は自分の価値判断、他人の価値判断、法などの価値判断により、責任の範囲を決めます。

この責任の範囲ですが、

「自分の責任の範囲ではない」

と思うのに、自分の責任であると責められると、理不尽な気がするはずです。

「なぜ、自分の責任なのだ。私には責任がない。」

と。

このように思ったことは誰しもあるでしょう。

さて、ここからがスピリチュアル的な見方です。

それは

「すべての責任は自分にある」

です。

自分の人生で起きること、それに対して、自分が感じる感情、思考はすべて自分の責任であるということです。

これは、自分が壊してもいないものの代金を支払う責任があるという意味ではありません。

「自分が感じる感情や思考は、自分が経験することに対する自分の反応であり、それは経験そのものと関係がなく、自分自身の価値判断によるものであり、だからこそ、自分の責任である」

ということです。

他人の責任だと押し付けることは他人に自分の人生の選択をあずけることです。

「私の今感じている感情や思考は私にはコントロールできません。あなた次第です。」

とういことになってしまうのです。

これはとても弱々しい感じですよね。

一方、自分の責任と受け取れるなら、とてもパワフルです。

自分の感情や思考は自分でコントロールできるのですから。

そして、だからこそ、人生を変えることがとても簡単にできます。

この考え方はもしかするとわかりにくく、とても受け入れがたいかもしれません。

ですが、自分の責任と他人の責任を区別するという考え方は分離の発想で、これを受け入れると分離のままです。

そして、分離したままの状態でいることは、複雑な感情や思考を経験するという創造の世界です。

波動の高い世界では

「責任は自分にある」

という世界です。

かといって、自己責任だと相手に押し付けるということではないです。

これは私の責任とすべての人が思ったらどうなるでしょう。そう、それを外から見ると、

「私の責任はあなたの責任でもあり、あなたの責任は私の責任」

となります。

1つの統合された意識から見ると、私はひとつであり、責任は私にある。

つまり、

「私が決め、私が経験し、私が創造し、私が感じる、私が責任を負う、etc」

すべてこういう感じです。

1つが全体であり、全体が1つであり、区別がつかない。

意識が高まってくると、全体性と個人がまったく同じなのに気づくはずです。

*以前、こんなことも書いていました。当時も責任をとることがパワフルだと感じていたようです。

責任と意識と選択